創業以来「無添加」と「品質本位」を基本に、古来の製法を貫き、長期間ゆっくりと醗酵・熟成させた風味豊かな醤油と味噌を求め続けてきました。
そこには、人間の都合ではなく自然の摂理に則った手造りを守りぬき、本当に安心して食することができるものをお届けするという信念があります。
国産の大豆、小麦、米、天日塩など徹底した原料へのこだわりと、「天の助け、神の恵み」を頂いて醤油・味噌造りに向き合う真摯な想いが融合して生まれたのが天祐です。

Belief “天祐”を銘する信念

「天祐」それは“天からの授かりもの”。思いがけない幸運。天の助け。神の恵み。などの意味を持つ「天祐」。
合理的、効率的な醸造⼿法が確⽴されていく現代において、あえて⼿間暇がかかってもなお古来からの丁寧な醸造法にこだわっています。
それは、“何も加えずとも、やり⽅次第で美味しいものがつくれる。”という信念があるからです。

素材へのこだわり

素材へのこだわり

原料農産物は、良質な地元産を中心に使用しています。
「国産⼤⾖」⽢みが強い富山県産大豆「エンレイ」を主に使用、特上の⾵味を醸しています。
「国産⼩⻨」⾹り⾼い福井県産⼩⻨を主に使用、芳醇さを加えています。
「米」石川県産米を使用、手作りで良質な糀に製麹し、旨味甘味を向上させます。
「塩」ミネラル分を多く含む塩は、塩味が柔らかく、大豆本来の旨味を引き出してくれます。

製法へのこだわり

製法へのこだわり

天からの授かりもの「天祐」の銘を冠する“醤油”も“味噌”も⾷品添加物を⼀切加えない「無添加」を貫いています。「余計なものは何も加えず」「こだわった厳選原料」にて「出来るだけ⾃然に近い古来からの製法」で造ることにより、お客様に安⼼して⾷していただける事を、創業以来こだわっています。また、原料の前処理、麹造り、仕込み、醗酵、熟成、搾り、製品化までの全ての工程を自社内で行ない、製品管理を徹底しています。合理的な⼤量⽣産では難しい、⻑い時間をかけて醗酵・熟成させる天然醸造で、醤油、味噌の“声”を聞きながら⼿間を惜しまず丁寧に造り続けています。

天祐醤油

天祐醤油

余計なものは加えず、微生物の⼒のみで旨味を引き出した【丸⼤⾖本醸造無添加醤油】です。
お召し上がりいただけるまで一般的な醤油よりも⻑めの二年以上天然醸造でじっくりと“醗酵・熟成”させております。
醗酵に⼤切な“夏”を二度超えることにより、特有の旨味が増しまろやかさが増していきます。
この時間と⼿間を惜しまずに醤油と向き合うことで、ようやく私どもが目指す醤油に仕上がります。

天祐味噌

天祐味噌

味噌の命とも⾔える⽶糀造りは「蓋麹法(ふたこうじほう)」にこだわっております。
⼩さな箱で少しづつ⼩分けして丁寧に造るので、品質にムラができず、安定した酵素力の⾼い“⾃家製糀”が出来上がります。
その糀だけを使って、一般的な味噌よりも⻑めの一年以上天然醸造でじっくりと“醗酵・熟成”させております。
そうすることで⼤⾖と糀の旨みが際⽴ち、湯で溶かすだけでも味噌汁が完成するほど「だし要らず」の旨み深い味噌となります。

Brewer 醸造家として

私ども醸造業が他の食品製造業と大きく異なる特徴は、微生物の恩恵を受けて成り立っているという事です。醤油、味噌、漬物、ヨーグルト、酒類等、「醗酵食品」と呼ばれる物は、製造のどこかで微生物の力を利用した工程が有ります。
1674年、レーウェンフックによって、人類は微生物という生き物の存在を初めて知りました。1857年、パスツールによって、醗酵は微生物の活動に基づくものと発表されました。太古の昔からずっと存在していた微生物を認識したのは、歴史の長さに比べると僅か350年程前です、醗酵の概念を知ったのは更に後の170年程前です。
紀元前より行なわれていたワイン造りも、何故起こるか解らないがブドウ果汁を放置しておくとブドウ酒に変わる事が稀にある、という経験に基づくものでした。
醤油造りは江戸時代から行なわれていましたが、職人の経験と勘で試行錯誤を繰り返し、製法は伝承されてきました。知識の裏づけを伴い、より良い製品が出来る確率を上げ、産業として成り立っていったのは、もっと最近の事です。
醤油・味噌は、麹菌・乳酸菌・酵母などの醗酵の主役の微生物がいなければ出来ません。永い歴史の中で、人間が自力で造り出した事はありません。但し、人間も脇役として、彼らに活躍してもらう為のお膳立てと、醗酵が上手く進むようにコントロールしなければ、美味しい製品にはなりません。つまり、醸造業は微生物と人間の共同作業なのです。
私どもは丁寧な造り方は目指しますが、量産は目指しておりません。何故なら、共同作業者の微生物の営みはとても穏やかでゆっくり進むからです。
時に彼らは機嫌を損ねたり、サボったりもしますが、様子を注意深く見て、五感を最大限使って状態を感じ取り、良い方向へ向けてやる事。微生物が気持ち良く活躍できる環境を作る為に、彼らと会話する事が醸造家の仕事です。

醸造家として

醤油・味噌は、麹菌・乳酸菌・酵母などの醗酵の主役の微生物がいなければ出来ません。永い歴史の中で、人間が自力で造り出した事はありません。但し、人間も脇役として、彼らに活躍してもらう為のお膳立てと、醗酵が上手く進むようにコントロールしなければ、美味しい製品にはなりません。つまり、醸造業は微生物と人間の共同作業なのです。
私どもは丁寧な造り方は目指しますが、量産は目指しておりません。何故なら、共同作業者の微生物の営みはとても穏やかでゆっくり進むからです。
時に彼らは機嫌を損ねたり、サボったりもしますが、様子を注意深く見て、五感を最大限使って状態を感じ取り、良い方向へ向けてやる事。微生物が気持ち良く活躍できる環境を作る為に、彼らと会話する事が醸造家の仕事です。

History 中初の成り立ち

弊社は、明治~大正~昭和~平成~令和と五つの時代を超えてまいりました。
初代 中谷初三郎が、酒造業であった本家から独立し、金沢市の伝馬町(現在の片町二丁目)に、醤油味噌など食品の小売業を創業したのが、明治29年(1896年)です。中谷初三郎の姓名から一字ずつ取って屋号を「中初」としました。
当初は、金沢市東部に在った「倉谷鉱山」で働く労働者に様々な物資を納入する御用商人として生業を立てました。
創業から間もなく、近隣から出火した火事によって家屋を焼失し、移転を強いられ、求めたのが金沢市野町の現在の建物です。文政年間に建造され、その時点で既に70年程経った金澤町家で、それ以前は銀行だったそうです。
倉谷鉱山は、江戸時代より一度休山を挟み明治まで、金・銀・銅・鉛などを産出しました。しかし、徐々に産出量が減り採算が合わなくなり、明治42年閉山となりました。
当時、醤油には醤油税という税金が掛かっており、製造するには税務署の免許が必要でした。弊社に残る免許状を見ると発行は明治42年となっています。鉱山の閉山を機に、弊社が本格的に醤油味噌の醸造業に変わっていったと思われます。

※ 写真は、明治から大正期、実際に醤油を入れ、使用していた「通い徳利」です

中初の成り立ち